2026年7月20日月曜日

それを自分で言う?|使徒20:18-21|2026.7.21(火)

 ―謙遜の限りを尽くし、涙とともに―


19-21節には「よくこんなこと自分で言えるわね〜」と違和感を感じてしまう言葉が続きます。

日本人の感覚と聖書時代の感覚とズレるとき、  

そこには必ず 「主が私に語りたい何か」が隠れています。


🌿 “自慢”ではなく“涙の告白”


古代の文化では、教師は自分の誠実さを語る責任がありました。  

しかもパウロは  

- 誤解され  

- 攻撃され  

- 信徒が惑わされる危険があり  

- もう二度と会えないかもしれない別れの場で  

「私はあなたがたを愛してきた」

と、涙ながらに語っているのです。


これは自慢ではなく、  

愛の証明でした。


🌿  私は誰に愛と涙を注いでいる?  


- 私は誰に対して、涙をもって仕えているだろう  

- 私は誰のために、心を砕いて祈っているだろう  

- 私は誰に対して、愛を伝えているだろう  

- 私は誰に対して、主の前で誠実であろうとしているだろう  


日本人の文化では、  

「自分の愛を言葉にする」ことは控えめにされがちです。

しかし主は、  

愛も信仰も、誠実な言葉と行動で示されるものだ

と教えてくださいます。


🌈 今日の祈り

 主よ、  

あなたの前で謙遜に、  

 人の前で誠実に仕える者にしてください。  

涙が一滴も出ないような

浅い愛し方をさせないでください。

一人一人に深く向き合い

深く理解し、

深く愛して、

今日も涙の祈りをささげさせてください。 


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