―謙遜の限りを尽くし、涙とともに―
19-21節には「よくこんなこと自分で言えるわね〜」と違和感を感じてしまう言葉が続きます。
日本人の感覚と聖書時代の感覚とズレるとき、
そこには必ず 「主が私に語りたい何か」が隠れています。
🌿 “自慢”ではなく“涙の告白”
古代の文化では、教師は自分の誠実さを語る責任がありました。
しかもパウロは
- 誤解され
- 攻撃され
- 信徒が惑わされる危険があり
- もう二度と会えないかもしれない別れの場で
「私はあなたがたを愛してきた」
と、涙ながらに語っているのです。
これは自慢ではなく、
愛の証明でした。
🌿 私は誰に愛と涙を注いでいる?
- 私は誰に対して、涙をもって仕えているだろう
- 私は誰のために、心を砕いて祈っているだろう
- 私は誰に対して、愛を伝えているだろう
- 私は誰に対して、主の前で誠実であろうとしているだろう
日本人の文化では、
「自分の愛を言葉にする」ことは控えめにされがちです。
しかし主は、
愛も信仰も、誠実な言葉と行動で示されるものだ
と教えてくださいます。
🌈 今日の祈り
主よ、
あなたの前で謙遜に、
人の前で誠実に仕える者にしてください。
涙が一滴も出ないような
浅い愛し方をさせないでください。
一人一人に深く向き合い
深く理解し、
深く愛して、
今日も涙の祈りをささげさせてください。
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