―もし御霊が禁止せずビティニアへ進んだら?―
🌿閉ざされる道にも、開かれる道にも、神の愛がある
パウロたちはアジアで御言葉を語ろうとしましたが、
聖霊はそれを「禁じられた」とあります。
さらにビティニアへ向かおうとした時も、
「イエスの御霊がそれを許されなかった」と記されています。
人間の目には、
「どうして行かせてくれないのだろう」
「せっかく準備したのに」
そんな思いが湧く場面です。
でも、
神様はただ閉ざしたのではなく、
もっと良い道へ導くために閉ざされたのです。
🌿もしビティニアに進んでいたらどうなったか
ビティニアは当時、ローマ帝国の重要地域で、
人々も多く、宣教の必要も十分にありました。
もしパウロたちがそこへ進んでいたら、
きっと福音はそこで広がったでしょう。
しかし――
① パウロとシラスは疲れ果ててしまったかも
- このルートでは黒海沿岸の広範囲な地域を周ることになります。
- マケドニアのような幹線道路がこの地域には整っていません。
効率よく宣教することはむずかしかったでしょう。
②マケドニアの叫びは届かなかった
夜の幻で、マケドニア人が
「私たちを助けに来てください」と叫びました。
もし
ビティニアへ進んでいたら、
この叫びを聞くことはなかったでしょう。
神が「今、最も必要としている場所」へ
パウロを送ることができなかったのです。
③ヨーロッパへの福音の扉は開かなかった
マケドニアはヨーロッパの入口。
ここでの宣教は、
後のヨーロッパ全体への福音の広がりの始まりでした。
もし
ビティニアへ行っていたら、
この歴史的な扉は開かれなかったかもしれません。
④ リディアの救いも、牢の看守の救いも起こらなかった
ピリピで起こった
・リディアの心が開かれた出来事
・牢の看守が救われた出来事
・パウロとシラスの奇跡的な解放
これらはすべて、
「ビティニアではなくマケドニアへ行った」結果です。
神は、
一人ひとりの救いのために、道を閉ざし、道を開かれる方です。
🌿閉ざされた道は、失敗ではなく“導き”
私たちの人生にも、
「行きたいのに行けない道」
「頑張ったのに閉ざされる扉」
があります。
でも、
- 行けなかった道にも、神の愛がある
- 閉ざされた扉は、もっと良い扉へ導くため
- 神は“今、最も必要な場所”へ私たちを送ってくださる
もしビティニアに行けていたら、
パウロはマケドニアの叫びを聞けませんでした。
私たちも、閉ざされた道の向こうに
神の大きな計画が隠れていることがあります。
🌈 今日の祈り
主よ、
進みたい道が閉ざされる時、
あなたの導きがそこにあることを信じる心を与えてください。
あなたが開かれる道へ、素直に歩む力をください。
私の計画ではなく、
あなたが最も必要とされる場所へ導いてください。
今日もあなたの御声に従って歩みます。

0 件のコメント:
コメントを投稿