神様は、華やかな場所ではなく、荒野のような場所に人を導かれることがあります。
🌿宦官の旅と心の痛み
彼はエチオピア女王の高官で、しかも全財産を任せられるほど女王に信頼されていました。
彼の人生の舞台は華やかな王宮でした。
そこで何不自由のない生活を送っていたでしょう。
でも、そんな彼にも神を求める心の渇きがあったようです。
彼はエルサレムまで長い旅をして礼拝に行きました。
しかし律法によれば、宦官は神殿の奥に入ることができませんでした。
「神を求めているのに、近づけない」
そんな痛みを抱えた帰り道、荒野を進んでゆきました。
エルサレム神殿よりももっと尊い方と出会うことになるとは、全く知らずに…。
🌿家一軒分に相当するほど高価なイザヤ書
おそらくエルサレムで購入したのでしょう。
彼はイザヤ書の巻物を持っていました。
当時、巻物はすべて手書きで、材料も高価で、
一般の人が買えるようなものではありませんでした。
それでも彼は、どうしても神の言葉を知りたいと思ったのでしょう。
莫大な代価を払って巻物を手に入れました。
そして神は、その巻物のちょうどイザヤ53章を読んでいる時に、
ピリポを彼のもとへ送られました。
神さまは、荒野で
受難の道を進まれた救い主(53章)と
伝道者ピリポを通して出会わせてくださったのです。
🌿ピリポの場合
サマリヤでは多くの人が救われ、奇跡が起こり、
まさに大リバイバルが起きていました。
その最中に、神はピリポに命じます。
「立って、南へ行き、…ガザに下る道に出なさい。」
人間の目には、
「なぜ今?」「なぜ荒野へ?」
と思うような指示です。
すでに神さまは
サマリヤに他の使徒たちを派遣しておられました(14、25節)
サマリヤを他の使徒に任せ、ピリポを荒野へ派遣されました。
ピリポはギリシャ語を使うユダヤ人でした。
宦官を導くのに最適だったのでしょう。
しかも
御霊の指示に即座に従って、走ってゆきます(30節)。
彼が神に用いられたのは、この従順さによるのですね。
🌿荒野での出会い
荒野は、目立たず、寂しい場所。
誰も期待しない、何も起こらないように見える場所。
でも、神さまは
そんな荒野でご自身を現わしてくださり、
救いの物語をはじめる舞台にされるのです。
🌈 主よ
宦官のように、
あなたを熱心に求めさせてください。
ピリポのように、
従順な心を与えてください。
私の人生の「荒野」にも、
あなたはご自身を現わしてくださり、
救いと回復の恵みを備えてくださいます。
どうぞあなたを深く知らせてください。
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