サマリヤで信じたシモンは、かつての価値観を引きずったまま、
“神の恵みを自分のために使いたい”と願ってしまいました。
信じたと言っても、心の中心はまだ「自分」にあったのです。
🌿けれど、私たちもまた、
十字架の恵みを信じて救われたとしても
生い立ちや過去の癖が残っていて、
気づかないうちに“不純な動機”で奉仕してしまうことがあります。
たとえば…
・子どもの頃から「認められたい」と育った人は、奉仕でも評価を求めやすい
・家庭で「役に立つことが価値」と教えられた人は、奉仕で頑張りすぎる
・傷ついた経験がある人は、奉仕を通して安心を得ようとする
これらは
“悪い”というより、
癒やされるべき心の領域がまだ残っているということです。
🌿それでも主は、そんな私たちを責めるのではなく、
「悔い改めて戻ってきなさい」
と優しく招かれます。
ペテロの言葉は厳しく見えて、実は回復への道でした。
シモンが「私のために祈ってください」と言えたように、
私たちもまた、主の前に心を差し出すとき、
聖霊は静かに、しかし確かに、動機をきよめてくださいます。
主は、完璧な人を求めておられるのではなく、
主に向き直ろうとする柔らかい心を喜ばれます。
🌈主よ
私の心をあなたの光で照らし、
心の奥にひそむ不純なものを取り除いてください。
私の思いをきよめ、
あなたの栄光を反映できるように
私の心も唇もお整えください。
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