― 本当に必要なもの―
使徒15章には、初代教会で起きた大きな問題が記されています。
ある人々が、「異邦人も割礼を受けなければ救われない」と教え始めました。
パウロとバルナバは強く反対し、議論になりました。
この出来事は、昔の教会で起きた教義の争いのように見えます。
しかし、実は私たちにとっても深い意味があります。
🌿人は 救いに何かを足したくなるから
私たちも、心のどこかでこう思うことがあります。
「イエスを信じるだけで本当に救われるのだろうか」
「もっと祈れたら…もっと奉仕できたら…もっと立派なクリスチャンだったら…」
そうでなければ救われないように感じてしまうことがあります。
初代教会の人々も同じでした。
🌿そもそも割礼とは何か
割礼には、三つの大切な意味がありました。
① 神がアブラハムと結んだ永遠の契約のしるし
創世記17章で、神はアブラハムに割礼を命じられました。
それは、結婚指輪のように
「神との契約を目に見える形にしたもの」でした。
② 神の民であることのしるし
割礼は、イスラエルが神に属する民であることを示す印でした。
③ 世界に祝福を届ける使命のしるし
神はアブラハムに、「あなたによって地のすべての民族が祝福される」と約束されました。
割礼は、その使命を帯びた民であることの象徴でもありました。
🌿割礼を通して神が求めておられたもの
神が求めておられたのは、外側の儀式ではなく、
神を愛し、神に従う心でした。
申命記には「心の包皮を切り捨てよ」とあります。
割礼は、神との契約を体に刻む深い行為でしたが、
その本質は「心」でした。
🌿では、私たちも割礼を受けるのか?
答えは「いいえ」です。
その理由は、キリストの十字架にあります。
① 花婿であるキリストが、花嫁のために傷を負われたから。
イザヤ49:16
「見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻んだ」
本来、契約のしるしは人が自分の体に刻むものでした。
しかしキリストは、逆に
≪ご自身の手に私たちの名を刻んでくださいました≫
花婿が花嫁のために傷を負われたのです。
② 十字架のキリストを信じる信仰だけで救われる
救いは「信仰+○○」ではありません。
「信仰だけ」です。
キリストに何かを足す必要はありません。
🌿神が私たちに求めておられるもの
神が求めておられるのは、
外側の儀式や立派な行いではなく、
キリストを信じる心です。
そして、
キリストに愛されている者として生きること。
行いは救われるための条件ではありません。
行いは、救われた者が神の愛に応答して生きるときに自然に実るものです。
🌈 今日の祈り
主よ。
今日、もう一度この恵みの福音に立ち返ります。
あなたの十字架、
あなたの愛だけで十分です。
私は あなたに信頼します。
私も永遠にあなたを愛せますように。
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